『プロジェクトヘイルメアリー』
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、未知の生物を描くSFとしてはとても良い。 ただし、ラストだけ主人公の欲望の締め方が弱い
この小説のいちばん良いところは何か。 自分にとっては、アストロファージの発見だった。
👇以下ネタバレを含みます👇
人類滅亡の危機の原因が、単なる事故でも陰謀でもなく、太陽のエネルギーを吸収する新種の宇宙生物かもしれない。 この設定には、SFならではの楽しさがそのまま入っている。 世界の危機を説明する話であると同時に、「宇宙にはまだこちらの常識では理解できない生物がいる」という驚きを、そのまま物語の中心に置けているからだ。
この本は全体としてかなり読みやすい。 現在の宇宙船のパートと、地球にいた頃の準備段階が交互に進む構成もわかりやすいし、主人公が記憶喪失であることもよく効いている。 読者は主人公と同じ速度で状況を理解していけるので、説明が多くても退屈しにくい。
そのうえで、この作品の強さは、未知の宇宙生物を「完全に異質なもの」として描くだけで終わらないところにある。 たとえば、タウメーバに窒素耐性を持たせるくだりはとても良かった。 あれは単なる問題解決ではなく、この小説の核にある「宇宙の生物も、こちらの生物と連続している」という感覚をうまく表現している。 ものすごく変な生物を描いているのに、同時に生物一般の話としても読める。そこがいい。
だからこそ、この作品は「未知との遭遇もの」としてかなりよくできていると思う。 ただ、ずっと圧倒されるほどすごいかというと、そこまではいかなかった。 面白いし、よくできている。でも、驚きが構造そのものをひっくり返すタイプではない。 その意味では、自分は『星を継ぐもの』を読んだときのほうが、「うわ、これはすごい」と強く感じた。
この小説には、少し気になるところもある。 いちばん典型的なのは、タウメーバがキセノナイトをすり抜けるようになるところだ。 ここは理屈としてまったく理解できないわけではない。でも、それまで積み上げてきた問題設定に対して、解決の出方がやや急すぎる。 驚きというより、「そこで一気にそう行くのか」と感じた。 SFではときどき、未知の存在のすごさが、そのまま便利さに見えてしまう瞬間がある。この場面は少しそちら寄りだったと思う。
そして、いちばん弱いのはラストだと思う。 主人公が最後に異星で学校教師になる結末は、きれいではあるけれど、人物の欲望の締め方としては少し不自然に見えた。
この主人公は、単純に「認められたい人」なのではない。 むしろ、認められないことに対してかなり臆病な人として描かれている。 その意味では、かなりシンジ君っぽい。もちろん、年齢はだいぶ上だし、やっていることもずっとおっさんなのだけれど、他者から拒絶されたり、期待に応えられなかったりすることへの怯え方には、かなり似たところがある。
ストラットがそれを見抜いている感じも含めて、この二人の関係はどこかエヴァっぽい。 ストラットはかなり碇ゲンドウに似ている。 感情的に寄り添うわけではないし、むしろ冷酷に見える。けれど、誰よりも相手の本質を見ていて、本人が逃げたい方向には逃がさない。 主人公の意志を尊重するというより、最終的には「お前は結局そこに行くしかない」という位置に押し込む役割を果たしている。
だからこそ、地球での主人公は、科学そのものへの愛情だけで動いているというより、評価されない場所から逃げたい、責任を負わされる場所から身を引きたい、という気持ちもかなり強く持っていたように見える。 学校教師でいたのも、科学を捨てたかったからというより、科学の世界で傷つくのが怖かったからだ、と読んだほうが自然だと思う。
だとすると、異星で彼がすでに十分に認められた存在になったあと、なお学校教師であることを選ぶ理由は、もう少し強く説明される必要があった。 教師になること自体が悪いわけではない。 ただ、そこが彼の最終的な居場所になるなら、それは「彼はもう競争や承認から自由になれた」という話なのか、それとも「結局いちばん傷つかない場所に落ち着いた」という話なのかが、もう少しはっきりしていてほしかった。
今のラストは、少しきれいすぎる。 能力の着地点としては自然でも、欲望の着地点としてはまだ曖昧さが残る。 シンジ君っぽい臆病さを抱えたままの人間が最後にどこへ行くのか、という問いに対して、この小説はやや優等生的に答えすぎている気がする。
つまり、この小説は、未知の生物を描くSFとしてはかなり優秀だ。 アストロファージの発見には、まさにSFを読む楽しさが詰まっている。 一方で、人物の終わり方だけは、設定やテーマの強さに比べると少しおとなしい。 この作品の最高到達点は、主人公の人生の決着ではなく、宇宙に対する想像力のほうにある。
だから、自分にとっての『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、 「すごくよくできたSFで、読む価値は十分ある。 でも、本当に忘れがたいのはラストではなく、アストロファージが現れた瞬間のほうだ」 という作品だった。